😆俳句の旅
「魔がさして糸瓜となりぬどうもどうも」
正木ゆう子
女性ならではの繊細な感性を生かした作品でも知られる正木ゆう子だが、その俳句世界は決して一様ではなく、こうした自在なユーモアにも富んでいる。
以下、AIによる鑑賞。
この一句を読んでまず惹かれるのは、俳諧本来の可笑しみを存分に味わわせる、思い切った言葉の飛躍です。「魔がさして」と始まれば、何かよからぬことをしてしまったのかと身構えます。ところが、その先に待っているのは「糸瓜となりぬ」。人間が突然、糸瓜になってしまうという荒唐無稽な展開によって、冒頭の不穏さは一瞬にして笑いへと転じます。さらに愉快なのが、結びの「どうもどうも」です。糸瓜になったことを嘆くでも驚くでもなく、まるで道端で知人に出会ったときのような調子で挨拶している。その飄々とした態度が、句全体の可笑しさをいっそう膨らませています。細長くぶら下がる糸瓜のどこかとぼけた姿と、「どうもどうも」という力の抜けた口語の響きも絶妙です。理屈によって意味を限定するのではなく、意外な言葉の連なりそのものを楽しむところに、俳諧の自由さがあります。何が起こるかわからない人生の不可思議ささえ、深刻に抱え込まず笑い飛ばしてしまう。正木ゆう子の自在な発想と洒脱なユーモアが光る、何度口にしても可笑しみの湧いてくる一句です。
