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食卓を豊かにする炭火焼き椎茸

大分県豊後大野市で、炭づくりから原木椎茸の栽培、さらに炭火乾燥まで一貫して手掛ける宗像さんたちの「炭火干し椎茸」を使って、ちらし寿司とあおさ海苔汁を作りました。生産現場を知っているだけに、食卓に並べるたびに作り手の情熱や里山の風景が思い浮かびます。

今回改めて感じたのは、この椎茸の持つ圧倒的な品質の高さです。戻し汁は美しい金色を帯び、雑味のない澄んだ旨味が広がります。その出汁を使ったあおさ海苔汁は、香り高く上品な味わいに仕上がりました。また、戻した椎茸は乾物とは思えないほど瑞々しく、まるで生椎茸のような食感です。噛むたびに豊かな旨味が広がり、ちらし寿司の具材としても存在感を発揮してくれました。

宗像さんたちは、くぬぎの炭焼きから原木づくり、椎茸栽培、炭火乾燥まで気の遠くなるような工程を積み重ねています。大量生産では決して生み出せない品質は、こうした丁寧な手仕事によって支えられています。里山の資源を循環させながら生産する姿勢も大きな魅力です。

その品質は高く評価され、炭火干し椎茸は【食べるJAPAN美味アワード2026 グランプリ】を受賞しました。全国から集まった優れた食品の中で最高賞に選ばれたことは、生産者の技術力と情熱の証と言えるでしょう。

椎茸は煮物や炊き込みご飯はもちろん、寿司や汁物など幅広い料理で活躍します。素材そのものの力が強いため、シンプルな調理ほどその魅力を実感できます。日々の食卓を少し贅沢にしてくれるだけでなく、日本の里山文化や食文化の豊かさまで感じさせてくれる逸品です。

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もういいかいまあだだよと螢かな

🏞️俳句の旅
「もういいかいまあだだよと螢かな」
横山洋亮

子どもが小さい頃、毎年のように家族で蛍を見に出かけていました。川辺や水路沿いの暗がりに浮かぶ小さな光を追いながら歩く時間は、今思い返しても特別な思い出です。この句は、そんな蛍鑑賞の最中に、ふと口をついて出てきた即興の一句でした。

蛍の光は現れたかと思うと消え、また少し離れた場所で瞬きます。その様子を眺めているうちに、まるで子どもの頃のかくれんぼのやり取りのようだと感じたのです。「もういいかい」「まあだだよ」。誰も口にしていないのに、そんな声が闇の向こうから聞こえてくる気がしました。

以下、AIによる鑑賞文ですが、作者自身も気づかなかった魅力を見出してくれて興味深く感じました。

この句は、子どもの遊びである「かくれんぼ」の掛け声をそのまま取り込みながら、蛍の生態と見事に重ね合わせている。「もういいかい」「まあだだよ」というやり取りは本来人間同士の会話であるが、この句では闇の中で光を明滅させる蛍たちの応答としても響いている。

蛍は姿を隠したかと思えば再び現れ、その存在をほのかな光で知らせる。その様子はまるで「まだ見つからないよ」と遊んでいるかのようであり、自然の風景が一気に親しみ深いものへと変わる。

また、この句には夏の夜ならではの静寂と、子どもたちの無邪気な気配が同時に存在している。蛍の光は美しいが、決して手の中に留めることはできない。その儚さが、「まあだだよ」という言葉の中に巧みに託されているようにも感じられる。見えそうで見えない、近づけそうで近づけない。その絶妙な距離感が、蛍という存在の魅力を際立たせている。

さらに、人間の遊びの言葉を自然の風景へ移し替えることで、蛍は単なる夏の季語ではなく、闇の中で生き生きと応答する存在として描かれている。そこには自然と人との境界がやわらかく溶け合う、日本的な感性も感じられる。

子どもたちの笑い声が響く夜、草むらの奥で明滅する小さな光。その光景は、今でも「もういいかい」「まあだだよ」という声とともに心の中に残っています。蛍を見るたびに、過ぎ去った夏の日々が静かによみがえるのです。

天井にさざなみの影蒸し鰈

🐟俳句の旅
「天井にさざなみの影蒸し鰈」
横山洋亮

この句は、蒸し鰈という一皿から広がる海の記憶を表現したくて作った作品です。鰈は派手な魚ではありませんが、その身の白さや透明感には独特の美しさがあります。その静かな存在感をどう表現するか考えたとき、ふと浮かんだのが海面に揺れるさざなみの光でした。

食卓に並んだ蒸し鰈を見ていると、その魚がかつて泳いでいた海の景色まで想像が広がります。料理として目の前にありながら、その背景には広い海や潮の香り、光に満ちた水面が確かに存在している。そんな感覚を一句に込めてみました。

以下、AIによる鑑賞文ですが、自分では意識していなかった部分まで丁寧に読み解いてくれていて興味深く感じました。

この句は、蒸し鰈という食卓の一場面を通して、海と人の暮らしが静かに結びつく瞬間を描いている。蒸し鰈は古くから親しまれてきた家庭料理であり、その湯気立つ姿だけでも温かく懐かしい情景を想起させる。しかし作者は料理そのものを描写するのではなく、「天井にさざなみの影」という表現によって、読者の想像をより大きな世界へ導いている。

窓から差し込む光が水面に反射して天井を揺らしているのかもしれない。あるいは、蒸し鰈を前にした作者の心の中で、遠い海の記憶が呼び覚まされているのかもしれない。食卓に置かれた一尾の魚から、その魚が生きていた海へと視線がつながり、部屋の中にまで波の気配が満ちてくるような感覚が生まれている。

「さざなみ」という言葉が持つ穏やかな響きも印象的である。激しい波ではなく、静かに寄せては返す小さな波のイメージが、鰈の上品で淡泊な味わいと自然に重なり合っている。また、日常空間である天井に海の影を見るという発想には、現実と幻想がゆるやかに溶け合う俳句ならではの魅力がある。

光の揺らぎ、海の記憶、食卓の温もり。そのすべてが十七音の中に静かに折り重なり、読後には穏やかな余韻が残る。命をいただくという営みの中に、遠い海への感謝や郷愁までも感じさせる、美しく繊細な一句として読むことができるだろう。

海の気配は、ときに料理一皿の中にも宿ります。そんな小さな発見を大切にしたいと思いながら詠んだ一句です。

海盛水産さん船内凍結イカのイカ大根

今日は日曜日。久しぶりにゆっくりと夕食づくりを楽しみました。仕事柄、各地の生産者や食品事業者の方々と関わる機会が多いのですが、実際にその食材を家庭で味わう時間は、作り手の想いや技術を改めて実感できる貴重なひとときです。

今回の主役は、鹿児島県阿久根市の海盛水産さんが販売している船内凍結イカ。最新鋭の漁船で水揚げ後すぐに凍結されるため、鮮度がしっかり保たれており、解凍後も身の透明感や旨味が際立っています。今回はそのイカを使って、家庭料理の定番でもある「イカ大根」を作りました。じっくり煮込んだ大根にイカの旨味が染み込み、やわらかな食感と上品な甘みが楽しめる一品に仕上がりました。

この船内凍結イカの魅力は、何と言ってもその柔らかさです。加熱しても硬くなりにくく、噛むほどに旨味が広がります。さらに価格も手頃で、日常使いしやすいのも嬉しいポイント。新鮮な魚介類を自宅で気軽に楽しみたい方には特におすすめしたい商品です。オンラインショップから購入できるため、県外の方でも阿久根の海の恵みを味わうことができます。

副菜には、キャベツと蕪の昆布塩揉みを用意しました。野菜本来の甘みと昆布の旨味が調和し、さっぱりとした箸休めになります。また、昔ながらのひじき煮は、どこか懐かしさを感じさせる家庭の味。さらに、茶美豚のベーコンとサラダほうれん草を合わせたサラダも添え、栄養バランスの良い献立になりました。

食卓に並んだ料理を眺めながら感じたのは、やはり良い食材があるからこそ家庭料理は豊かになるということです。派手な料理ではなくても、生産者や漁業者の方々が丁寧に育て、届けてくれた食材には、それだけで十分な価値があります。

地域にはまだまだ知られていない魅力的な食材が数多くあります。こうした食材を家庭で楽しみながら、その価値を発信していくことも大切なことだと改めて感じました。

▼海盛水産 船内凍結イカはこちら
https://kaiseimaru.shop-pro.jp/?mode=grp&gid=3001734

阿久根の海が育んだ新鮮なイカ。ご家庭の食卓でぜひ味わってみてください。

泥酔の父を背負いし夜の秋

⭐️俳句の旅
「泥酔の父を背負いし夜の秋」
横山洋亮

この句は、私自身の高校時代の実体験をもとにしています。両親が離婚した後、母が家を出て、父と弟と3人で暮らしいました。

そのときの田舎の夜道の静けさや、ひんやりとした秋の気配は、今でも懐かしい記憶です。

不思議なことに、その出来事を私は嫌な思い出としては覚えていません。むしろ、父にも弱さや不器用さがあるのだと初めて実感し、それまでとは違う親しみを感じたように思います。親はいつも強く、頼る存在だと思っていた少年時代。その認識が少しだけ変わった夜でした。

以下、AIによる鑑賞文ですが、読みながら思わず胸が熱くなりました。

この一句には、家族の情愛と人生の哀歓が静かに息づいている。まず「泥酔の父」という言葉が強い印象を与える。父は家庭を支え、子どもにとって大きな存在である一方、一人の人間として弱さや脆さも抱えている。その父を「背負いし」とあることで、親子の立場が一瞬逆転したような情景が浮かび上がる。かつて父の背に守られていた子どもが、今度は父を支えているのである。

季語の「夜の秋」も効果的である。夏の賑わいが去った後の静かな夜気には、どこか人の心に染み入る寂しさがある。人影の少ない道を父を背負って歩く姿が、その秋の空気によって一層印象深いものとなっている。

また、この句の魅力は父を責めたり評価したりしていない点にある。泥酔していたという事実だけを淡々と置き、その背景にある親子の歴史や感情は読者の想像に委ねられている。だからこそ、読む人それぞれが自身の家族との記憶を重ねることができる。

人生には誇らしい出来事だけでなく、少し情けなく、それでいてなぜか忘れられない場面がある。この句は、人の弱さを受け入れることの優しさと、家族だからこそ生まれる絆を描いている。派手なドラマはない。しかし、その静かな温度が、読む者の心に長く残るのである。

振り返れば、あの夜に背負ったのは父の体だけではなかったのかもしれません。親という存在を少し違う角度から理解し、一人の人間として受け止めるきっかけとなった、大切な記憶の一場面です。